マユミ・紅葉・深浦2
設定文
マユミ・紅葉・深浦という人物がいる。 元々は紅葉国の逗留ACEで、小笠原の地を駆ける高速のスプリンタと言えば「ああ」と誰もがつぶやきながら思い浮かべるだろう、元気印のあの娘である。その溌溂とした印象はいかにも鮮やかで、眩しくあった。 彼女が転機を迎えたのはターン11の頃である。舌禍事件をきっかけとして、共和国中が暴動や動乱の渦に落ちた。紅葉国もその例外ではなく、海中ドームは暴動と騒乱で到るところが水没し、荒れに荒れた。 当時、信望の低下していた藩王紅葉ルウシィの代わりに国民の矢面に立ったのはマユミである。彼女は泣きながら暴動を止めようとし、最後には狙撃されかけた者をかばい、殺された。その死体は水葬に出されている。 その直前、彼女はこの国の摂政に就任していた。騒乱の王宮に立ち、見つめた国の様子がいかなる物だったのかは想像するしかない。摂政就任から狙撃までのわずかな期間で彼女が何を学び、思ったのか。 一つ明らかなのは、この悲しい経験が彼女の今後を決める一手となったということである。 やがて国が落ち着きを取り戻した後、ルウシィはマユミを探しに出た。彼女はバルクによって治療され、小笠原に保護されていた。二人は七月の頃に涙の再会を 果たした。 その頃にはマユミは変わっていた。かつての快活さ、溌溂とした雰囲気はなりを潜め、落ち着きと思慮を手にしていた。彼女は保護されている間、バルクにさまざまなことを学んでいたのである。 彼女は現在でも紅葉国の摂政を務めている。これまでの経験の末に、彼女は何を見いだし、何を成そうとしているのだろうか? それはプローモーションによって新たになったアイドレスと、彼女の行動が、静かに物語っている。
SS
時々、ただ泣いていたあの頃を思い出す。
夜の王宮を散歩する。静けさに満ちた王宮には人気が無い。明かりを消し、薄暗い廊下は夜の暗さに満ちている。石を削りだして積み上げたような壁には長方形 の窓が等間隔に配置され、そこから夜の明かりが入ってくる。その明かりは遙か海上の物だ。海底ドームの天井には、遠く彼方の海面に照りつける星明りを集光 して作り出した擬似的な夜空が広がっている。
マユミは一人廊下を歩いていくとテラスに出た。白い石造りの手摺りで囲われた半円形のテラス。王宮 からやや突き出すようにして伸びたそこはちょっとした広場である。常ならば、休憩にかこつけて多くの人々が入れ替り立ち替り休んでいく。テラスの風上には 広い噴水があり、滅入るほどに暑い昼頃などは、そこから吹いてくる冷しい風と水音を聞くためにずいぶんの数の人が集まる。
夜だけは、そこを独占できる。ちょっとした贅沢の気分で、マユミはテラスに出た。
夜空を見上げる。じっと見つめていると、集光が崩れ、時折波打っている。風上から噴水の音は聞こえない。その代わり、さらさらと草葉を梳る風音が川辺の水音のように満ちている。
ほう、と息を吐いた。
自分が摂政をする事になるなんて想像したこともなかった。何しろ、自分はあんまり頭が良くない。前に、小学生の勉強からし直したことがある。あのときはルウシィが付きっきりで勉強の面倒を見てくれた。
もしかしたら、あれがきっかけだったのかもしれない。ふと、そう思った。
紅葉国が騒乱のただ中に落ちていったとき、どうにかしたいと思った。それは前から変わらない。WDを着て敵と戦う、そんな日々をおくっていた頃の自分と同じで、ただ目に見えることだけでも、出来ることだけでもやらないとと思って飛び出した。
そしてあのときと同じ。出来ることはほんのわずかで、やらないよりはマシだけれど、涙の止まる日はほとんど無かった。助けた人が、少しよそ見をした途端に炉端で血まみれになって倒れていたなんて事も何度かあった。
ぼろぼろと泣きながら走り回った。今度こそ、今度こそと祈るように走り続けた。今度こそは何かが違うと信じていた。摂政という立場もある。もっといろんな事が出来るはずだと思った。
思ったけれど、わからなくて。結局、いつもと同じで走り回って。
そして。いつもと同じ結果が、訪れた。
もっと悪かったかも知れない。とっさに助けようとして飛び出して、狙撃されて、意識をなくした。霞む視界では、助けた人が誰だったのかすら、その人が助かったのかすらわからない。
死んだかな、と思ったとき、ふと、悲しくなった。
これで終わり。自分はたったこれだけのことしかできなかった。
もしも意識があったなら、きっと、涙が止まらなかったことだろう。
だから。生きていることを知ったとき、彼女は思わず泣き出した。治療してくれた人に、すぐに、ありがとうと言う事主に出来なかった。
無事だとわかって、生きていることを知って。それから私は、勉強することにした。あのままでは駄目だと、走る周りだけでは、結局、何も出来ないと気付いた。摂政という立場まであったのに、何もわからず、何も出来なかった。それは自分が無知だったからだと思った。 勉強しようとしたら、バルクがいろいろと教えてくれた。マユミは夢中になって勉強した。 そして。ルウシィと再会し、国に帰って、今の彼女はここにいる。 結局何も出来なかったから、とっくに摂政じゃなくなっているだろうなと思っていたけれど、そんなことはなかった。だから少し驚いたけれど、でもそれならそ れで、やれるだけやろうと思った。バルクにいろいろ教えてもらった今のマユミは、自分の立場、出来ること、するべき事を前よりもずっと理解していた。彼女 は日々仕事に努めた。 祈るように走ったように、 祈るように政務に励んだ。「健康に良くないわよ」 ふいに声が届いた。マユミが振り返ると、そこにはルウシィの姿があった。最近はリゾート関係の政策に熱を入れていて、ほとんど休む暇がない。 というよりも。驚いたことに、マユミはこの人物が休んでいるところをほとんど見たことが無かった。「大丈夫です。ちゃんと寝てます」「そう。寝るのは大事よ」「安心して寝られるのは大事だと思います」「そうね」 手摺りにそっと手を置いたまま空を見上げていたマユミの横に、ルウシィは立った。いつもと変わらない笑顔を、マユミと同じように空に向ける。「何事もうまくできればいいというものじゃないわ」「え?」「マユミはがんばってるわね。偉いわ」「いえ。まだまだです」「謙虚ね」「もう……」「でもね、無理をしたり、それしか見ないということと、がんばるということは違うのよ?」 静かに、雨が草地に落ちるように、その音は耳に落ちて来た。「必 死になったり、苦労したり、無理したり。そういうことと、がんばって、ちゃんとやるというのは違うの。無理をうまくやっても、いつかは倒れてしまう。あな たも、あなたがひっぱってきた人も。間違えては駄目。重要なのは、人はがんばれるという事を忘れずに、がんばり続けること。わかる?」「……はい」「マユミは賢くなったわね」「そんなことないですよ。……まだまだですね、私」「私もまだまだよ?」 ルウシィは笑顔をマユミに向けた。マユミも視線を合わせる。 風の音が止む。天からこぼれた明かりが、互いの顔を照らす。「一緒にがんばりましょう」「……はい」
頷き、手を延ばす。お互いに手を取ると、二人はテラスを後にした。